人生にはなんでこんな時に、このシチュエーションでこの人に出会ってしまったり、再会してしまったのだろうか?ということがたびたび起きるもの。それは偶然ではなく、すべて必然なのだろうけれども。
出会わなければ良かったという人は、果たして恋のシーンにおいて存在するのであろうか?
どんな過去も、今の自分になるための道のりであることに変わりはない。しかし憎しみが愛を上まわり、人間が持つ悲しい性を痛いくらい目の当たりにすると、出会わなければ良かった男女というのも世の中には存在するんじゃないかということを、どうしても感じてしまう私がいる。
愛の反対は“無関心"であり“憎しみ"は愛というコインの裏側にあるものだとずっと思って来た。でもそれは、憎しみから解き放たれるためのひとつの発想の転換法であって、俗人に過ぎない我々人間にとって愛の真逆とは、実のところ“憎しみ"なのではないだろうか?今夜の私はそんな考えにとらわれている。
別れた後、相手の幸せを心から願えるようになるためには、愛した時間の何倍かかるのだろうか?それとも愛が深ければ深いほど憎しみにおかされ、願えないものなのか?今が幸せでない限り願えないのが別れた恋人の幸せなのか?そんな愛についての研究をこれからも私は続けていきたい。私自身、その答えが欲しいから。
ただひとつ誓ったのは「別れて正解」そう思われない自分作りをしていこうということ。
逃した魚は大きいと思わせるような女であるよう、自分を磨き続けていきたい。










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