おとといブログの続き☆
「愛はコンプリートされないからロマンティックなのである」
これも、公開中の映画「それでも恋するバルセロナ」で印象的だった言葉のひとつ。
(訳し方や解釈に多少違いあるかも)
コンプリートは完成。
何を持って完成とするかは人によりけりだが、人は心がこれで完成と決めた瞬間から、そこにかける情熱を失い、崩落への恐れにロマンを壊されたり、維持や保持にエネルギーを奪われたり費やさざるを得なかったり、新たなる熱や刺激を求めずにはいられなくなったりするのではなかろうか。
そこで生まれるのが、不満感や焦燥感、倦怠感や虚無感、目移りや浮気心といったものたち。
それが、悪魔の誘惑を引き寄せる。
まあ人は悪魔に心酔して、手を切る苦難を乗り越えてこそ、強そうで弱く、弱そうで強い己自身に気づけるわけで、そこでやっと手にできるのが、健全なる自尊心と健全なる謙虚さだったりするんだけどね。
そうやって私たちは、経験を通して、人間という生き物とはなんぞやということを学んでいく。
それなのに、競争に勝つための学びばかりにとらわれ、人間そのものを学ぶことをおろそかにしがちな今の社会。
その結果、勝手に人間を美化しすぎて落ち込んだり、卑下しすぎて卑屈になったり、人としてのあり方を問われるような事件ばかりが頻発したり。
私は思う。
天と地の間にある人は、人以上でも人以下でもないと。
そして、追いつめられたり壊れたり、病んだり自分を見失ったり、満たされたり愛されたり許されたりしたら、どんな自分が出てくるかなんて、自分ですら予測できないブラックボックス、それが人間なのだと。
決めつけたり枠にはめようとしたり、勝つことやステイタスを得ることで完成を手にしようが、それもまた無常でしかないんだとも。
愛も形を変えていくものなのに、なぜ形にこだわる必要があるのか?
形さえ頼りにすれば、愛の不安は拭い去れるのか?
そもそも愛の形も倫理も、十人十色なのに、なぜ自分色以外は受け入れが難しいのか?
そう感じているあなた。
「それでも心するバルセロナ」は必見かもよ☆






































